【日常】なんで読まなアカンの?
ある小学校での子どもたちの会話より。
「なんで本を読まなアカンの?」
「無理に読まんでもええんちゃう?」
「読まな怒られるやん」
「なにゆうてるん、賢こくなるために決まってるやん」
「歴史の本とか読んでいろいろ覚えると、テストでエエ点取れるしなぁ」
「きっと大きくなった時に自分の役に立つんやと思うわ」
「ほんま?何の役にたつん?」「そりゃ、わからんけど・・・」
うーん・・・。
だれかひとりくらい、声を張り上げて言ってほしかったなぁ。
「読みたいから読むんや!面白いから読むんや!やめられへんから読むんや!」ってね。
だれかさんの言うとおりだ。本は読まなくったって生きていける。
でも、やっぱり読まないより読んだ方がいいと思う。
いろんな考え方がある。
でも、わたしは本を読むという行為は、自分ではない、誰かの経験や考え方を、知らず知らずのうちに自分の心の中の引き出しにしまうことだと思っている。現実の世界では経験できないことも、本を開けばそれができる。フィクションであれ、ノンフィクションであれ、実用書であれ、小瀬であれ、どんな本にも、必ず出会いが待っている。
そして、出会いで得た「ドキドキ」や「ワクワク」、「びっくり」や「なるほど」、「怒り」や「哀しみ」、「発見」や「感動」は、自分の経験となって、引き出しのなかで積み重なっていく。生きていくっていうことは、成長するっていうことは、引き出しのなかの経験を、少しずつ取り出しながら考えることだと思う。
と、するならば、スカスカの引き出しよりも、アレコレ入っている引き出しの方が、絶対、楽しいに決まっている。
「学ぶために」読むことも必要だけれど、子どもたちには、経験のツールとして本を読んでほしいと思う。
実際には味わいたくない痛みや哀しさ、口惜しさも、本でたくさん感じてほしいと思う。
経験は多ければ多いほど、心はきっと強くなる。
「なんで読まなアカンの?」
本は人だ。
たくさんの人に出会って、たくさんの経験をさせてもらうためだ。
心を豊かにするためだ。
もちろん、
その答えは人それぞれだ。
いつか、自分なりの答えを、子どもたち自身が見つけてくれるといいなと思う。